ドンスコパーラ

色んなものに軽率に手を出すオタクのブログ

鉄血のオルフェンズ 個人的感想とか ①

先日放送が終了した「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」についての感想を書きたいと思います。一応オタブログなので。

ガンダムは、00しか見たことがなかったのですが、主人公の三日月が刹那とちょっと似てる感じがしたので、この機に鉄血も見てみよ~と軽い気持ちでアマゾンプライムで最初から見始めました。

その結果、三日月いいな…という軽率さでオルフェンズにハマりました。(個人的に懐かない動物のような少年キャラが好きです)

 

一期はほぼほぼ楽しく見れていて、三日月が新しい顔を見せる度に何か嬉しくなったり、ヒロインたちとのやり取りに萌えやんけ…みたいになったり…

二期はもうただただやめてくれ…誰か止めてくれ…火星の王になんかならなくてもいい鉄華団の団長でいいじゃん…ヒットマンっょぃ。。。みたいなテンションにしかならないし、三日月の死をまだ受け入られてない(つらすぎるでしょ…)ので、ここらの感想はまた気が向いた時にでも書きたいと思います。

 

ここで書きたかったのは、三日月とヒロインたちの関係の考察というか感想なので、それを書きます。

三日月は最終的にアトラとの間に子どもを作り、その子どもをクーデリアに託す。

そして、最期の言葉は「ああ、また汚れた。アトラに怒られる。クーデリア、一緒に謝ってくれるかな」というものでした。

 

アトラは後に母となることもあり、母性を象徴するような描き方がされていました。ブレスレットを汚したことで「アトラに怒られる」も、洗濯物で遊ぶ暁を叱る姿に重ねているでしょうし。

だけど、本来はアトラ自身が三日月を繋ぎとめる存在になるべきだったし(クーデリアの「それはアトラさんでは駄目なのですか?」は、アトラが三日月を繋ぎとめるのでは、という意味での言葉)、アトラもそれを望んでいたはずなんですよね。

でも、随所でオルガとの仲を見てきたアトラには、今のままでは三日月が止まらないことを知ってる。だから、子作りをすることで三日月に変化をもたらしたかった。

けれど、三日月とってすでにアトラは家族なので、もう子作りをしても大きな変化はなかった。(子供を実際に見ればまた違うのでしょうが)

子は鎹ということわざは子が夫婦を繋ぎとめてくれるという意味ですので、三日月が残してくれた(いなくなった)世界でアトラが生きていくための子どもでもあったのではないかと思いました。

 

三日月からアトラと子どもを託されたクーデリアは、どんな描き方だったのかな~と個人的に考えた結果、クーデリアは戦う場所こそ違うけれど、三日月と同じ戦士だったんだなって思いました。(最期の言葉の「一緒に」が、その立ち位置を表してるのかなと)

半身不随になった三日月が農業できないなと零し、それを手伝うと申し出たクーデリアに対する言葉がまさに二人はやるべきことが明確で同じ立場だからこそすっぱりと断った。

じゃあ、13話のあのキスは戦士から戦士にって考えると、理由が「可愛かったから」というのはおかしく感じます。可愛いから、という理由は性愛的なものなので。

なので、あの時の「可愛かったから」は三日月にとって恋になる可能性だったのかと思いました。ただ、本人も言っているように育てるのが上手くないので芽吹くことなく終わったけど。

クーデリアはそのキスで年相応に三日月を意識したけれど、フミタンの死によって恋する乙女でいることは出来ず、革命の乙女として戦士になって、色々あって…最終回の姿に。

 

アトラは三日月からその血を引いた暁を、クーデリアは三日月から鉄のように固い約束を。その結果、オルフェンズが家族を築いたのではないかと。

めちゃめちゃ強引にタイトルに繋げてみました。すでにやっている人がいたら、強引にとか言ってすみません。

個人的に三日月とヒロインたちはこんな役回りだったのかな~と思ったという話でした。